SUPER EIGHTのメンバーとして、歌手・俳優・バラエティ番組など幅広く活躍している横山裕さん。
いつも明るく笑顔のイメージがありますが、その裏では壮絶とも言える生い立ちを経験してきたことでも知られています。
幼少期の両親の離婚、義理の父親との複雑な関係、母親との深い絆、そして弟たちの“親代わり”として支えてきた日々――。
テレビ番組やインタビューで語られたエピソードには、「泣ける」「想像以上に苦労していた」と驚く声も多く見られました。
今回は、横山裕さんの家族構成や生い立ち、母親との感動秘話、弟たちとの絆について詳しくまとめていきます。
横山裕のプロフィール

- 名前:横山裕
- 本名:横山侯隆(よこやま きみたか)
- 生年月日:1981年5月9日
- 出身地:大阪府大阪市
- 血液型:A型
- 所属グループ:SUPER EIGHT
- 職業:アイドル、俳優、タレント
- 所属事務所:STARTO ENTERTAINMENT
横山裕さんは関西出身らしいトーク力と親しみやすいキャラクターで人気を集め、俳優としても数多くの作品に出演しています。
一方で、若い頃から家族を支えてきた苦労人としても知られています。
横山裕の家族構成まとめ
横山裕さんの家族構成は以下の通りです。
- 実の父親
- 母親
- 母親の再婚相手(義理の父親)
- 横山裕さん
- 6歳年下の弟(勤さん)
- 8歳年下の弟(充さん)
弟2人は父親違いの兄弟であり、母親の再婚後に生まれたとされています。

横山裕の実の父親と母親は離婚している
横山裕さんの両親は、横山裕さんが3歳の頃に離婚しています。
過去に出演した番組では、両親が車の中で離婚の話をしていた場面を鮮明に覚えていると語っていました。
海の近くの工場地帯のような場所で、後部座席に座りながら両親の会話を聞いていたそうです。
幼い子どもにとって、かなり強烈な記憶だったのでしょう。
離婚後は母親に引き取られ、実の父親とはそれ以降ほとんど会っていないようです。
離婚理由については公表されていませんが、横山裕さんの話しぶりからも、決して円満な別れではなかったことがうかがえます。
母親の再婚で「横山姓」になった
実は、「横山」という名字は再婚相手の姓だったそうです。

母親は横山裕さんが5歳頃に再婚し、「今日からお父さんと呼びなさい」と言われたこともあったとか。
しかし、横山裕さんはどうしても“お父さん”と呼ぶことができず、義理の父親から厳しく叱られたこともあったそうです。
幼い頃の横山裕さんにとって、突然新しい父親ができる環境は簡単に受け入れられるものではなかったのかもしれません。
義理の父親との生活が壮絶だった
横山裕さんは、義理の父親との生活を「奇妙な生活」と表現していました。
ラジオなどでは、棒で叩かれたエピソードを語ったこともあり、かなり厳しい家庭環境だったことがうかがえます。
また、母親が泣いている姿を見ることも多かったそうで、「怒号がすごい聞こえていた」と話していたこともありました。
さらに、クリスマスの日には弟たちにプレゼントがなく、泣いていた弟を見て横山裕さんが義理の父親へ「なんであげへんねん!」と怒ったこともあったそうです。
しかし返ってきた言葉は、「家庭の事情でありません」だったとか。
このエピソードからも、横山裕さんが幼い頃から“兄”として弟たちを守ろうとしていたことが伝わってきます。
祖父母の家で暮らしていた時期もあった
義理の父親とうまく馴染めなかった横山裕さんは、一時期、団地の上階に住んでいた祖父母の家で生活していたそうです。
しかし、中学2年生の頃に祖父が亡くなったことで、再び母親たちと同居することになりました。
ただ、そこから再び厳しい生活が始まったと言われています。
高校進学できず中卒で働いていた
横山裕さんは高校へ進学していません。
義理の父親から「働いて稼げ」と言われたことで、中学卒業後は建設現場で働き始めました。
ジャニーズJr.として活動しながら建築現場でも働き、家計を支えていたそうです。
当時は仕事終わりに作業着のままレッスンへ向かうこともあり、駅のトイレで私服へ着替えていたというエピソードも語られています。
周囲のJr.メンバーが制服姿で来る中、自分だけ作業着だったという話には、多くのファンが胸を打たれました。
母親は横山裕の芸能界入りを後押しした存在
横山裕さんがジャニーズ事務所へ入るきっかけを作ったのは母親でした。
中学生の頃、母親が履歴書を送ったことで芸能界入りが決まったそうです。
家庭は苦しかったものの、母親は横山裕さんの可能性を信じていたのでしょう。
母親は50歳で急逝していた
4枚目の写真で涙腺崩壊#人生で一番長かった日 #横山裕 pic.twitter.com/ybl9X7cdUz
— ゆり@J事務所 (@Johnnys_YURI_) February 2, 2025
横山裕さんの母親は、2010年に50歳という若さで急逝しています。
死因は虚血性心疾患だったとされています。
スーパーへ買い物へ向かった際に突然倒れ、そのまま意識が戻ることはありませんでした。
しかも、その日は横山裕さんのソロコンサート青森公演当日でした。
スタッフからは中止も提案されたそうですが、「来てくれているお客さんには関係ない」という思いから、公演を決行したそうです。
「オニギシ」に込められた母親への思い
ライブでは、母親への思いを込めて作詞した楽曲「オニギシ」を歌った際、感情が溢れ涙が止まらなくなったそうです。
“おにぎり”を幼い頃うまく言えず、「オニギシ」と呼んでいたことからタイトルが付けられました。
歌詞には、「オニギシが食べたいよ」という、母親への愛情が詰まっています。
オニギシ①
— かばおくん (@NKHJKABA) February 12, 2017
泣く。
横山裕の生い立ち(?)を知ってから見るともっと泣ける。#かばおくん加工 pic.twitter.com/8R7Zt2yNhS
横山裕さんは母親について「料理はあまり得意じゃなかった」と笑いながら話すこともありましたが、それでも母親の作るおにぎりは世界一だったのでしょう。
横山裕は弟たちの“親代わり”だった
横山裕さんは、弟たちを非常に大切にしてきました。
特に、母親が病気になった頃から「自分がしっかりしないと弟たちの人生がむちゃくちゃになる」と思うようになったそうです。
次男の勤さんは高校卒業後に就職。
一方で、三男の充さんは大学進学を希望していたため、横山裕さんが学費を支援していたと言われています。
弟の進学や生活を支える姿は、まさに“父親代わり”だったのではないでしょうか。
弟が記憶喪失になった感動エピソード
母親の葬儀後、次男の勤さんは突然倒れ、記憶喪失のような状態になってしまったそうです。
母親が亡くなった事実を受け止めきれず、関連する約2年分の記憶が抜け落ちてしまったとも言われています。
横山裕さんは弟を支えるため、大阪へ呼び寄せ、兄弟3人で暮らし始めました。
旅行へ連れて行ったり、一緒に過ごす時間を増やしたことで、少しずつ弟の状態も回復していったそうです。
弟の結婚式で涙した横山裕
その後、次男の勤さんは結婚。
結婚式では、弟から“父親代わりになってくれた兄”への感謝の手紙が読まれたそうです。
@superfourever 最高のお兄ちゃん(><) #SUPER_EIGHT #横山裕 ♬ 原聲 – four
さらにサプライズで披露されたトランペット演奏では、感動のあまり上手く吹けなくなってしまったとも言われています。
これまで苦労を共にしてきた兄弟だからこそ、多くの感情が込み上げたのでしょう。
横山裕の弟もイケメン?
ファンの間では、「弟たちもイケメンなのでは?」と話題になることがあります。
一般人のため詳細は公表されていませんが、一部では結婚式などで見た人から「横山裕に似ている」という声もあったようです。
兄弟仲が非常に良いことでも知られており、現在も交流は続いているようです。
まとめ
今回は、横山裕さんの家族構成や生い立ち、両親の離婚や弟との感動エピソードについてまとめました。
横山裕さんは幼少期に両親が離婚し、その後は母親の再婚、義理の父親との複雑な関係など、多くの苦労を経験してきました。
中学卒業後は働きながら家族を支え、母親の死後は弟たちの親代わりとして人生を支えてきたことでも知られています。
明るいキャラクターの裏には、家族への深い愛情と責任感があったのですね。
だからこそ、多くの人が横山裕さんに惹かれるのかもしれません。



コメント